さいきん女装男子ブログが市民権を得るようになってきたと思う | Gothic Base
時代は変わってきたな、と思うことのひとつ、それは、
ネットの至るところで女装男子のブログを見かけるようになった、ということ。
最近だと大島薫さんという(ホリエモンさんと噂になった)
”女子より女子”な男装女子が話題になりました。
恋愛も性別にとらわれず自由、発言も自由。すごく前向きで、
かつてあった後ろ暗さがほんと減った感。こういう風潮、「私はいいな」と思います。
【自由な人を貶める人たちは幸せじゃないのかも】
まだまだ日本だと、マイノリティーは白眼視されやすい。
とくに田舎だとそういうキライがありますよね。私も常に感じていること。
「とにかく周りから浮かない」「後ろ指をさされない」「悪口を叩かれない」、
そんなことばかり考えて、小さくまとまってしまう人も多い。
自分の人生の筈が、他人の目を軸に生きて、自由な人の陰口ばかり言う。
そんな人とは友達になりたくないかな、とさえ思います。
最近思ったんですが、
他人の目を気にしすぎて自由に動けない人って、ホント悪口が多い。
会話の中の悪口の割合がめちゃくちゃ多い。
「あの人ってさ、どう思う?ヤバイよね?」みたいな会話ばかりしている。
これって、”エセ正義感”だと思うんですが、どうでしょうね。
「我こそはマットウで正しい人間だ」とアピールし宣言している。
真に正しい人は、そんなことをセルフで言わなくても、周囲が認めてくれるものなのに。
そして、そういう人に限って、すごくキュウクツな生き方をしていることが多くて、
何かにがんじがらめになって息苦しいために、
他人を貶める悪口で発散している。そんな気がします。
【「いろんな人がいていいじゃない」というのびやかな空気】
(とはいえ、以前私もそうだったので偉そうなことは言えない笑)
でもそういう日本独自のDNAも、
そろそろ開かれた国際社会の中では衰えて欲しい気もします。
もちろん法律違反とかマナー違反とかは見苦しいしNGだとしても、
それ以外のところで、どう楽しもうが構わないと思うんです。
もちろん人間も生き物なので、自分とは違うタイプを攻撃したり排除したり、
見下したりしようという本能がある。ですが、そこは人間らしく、
「本能<理性でありたい」と思うのは間違いなんでしょうか。
・・・なんてことを、女装男子などの趣味を楽しむ方々を見てて思う。
私も以前は、変わった趣味はとにかくひた隠しに隠してきたつもりです。
だって、陰でヒソヒソされるのが嫌だし、自分自身もどこかで
”ふつう居ないような人”は特別視していたような気がします。でも、
さいきんの自由な風潮を見てると、
「なんだ、何でもアリなんだな」と思うとともに、他人のレアな嗜好に対しても
好意的に捉えられるようになってきた。
そして何より自分自身に息苦しさを感じず、気分がフリーダムになりましたね。
この考え方が正しいとは限らないけど、少なくとも自分は、
「前のがんじがらめな自分より、今のフリーダムな自分のほうが好きだ」と思えます。
なので、女装男子だろうと男装女子だろうと、既成の枠を超えたフリーダムな存在が
もっと世の中に増えてくれたら楽しいな、と思ってます。
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